福岡家庭裁判所小倉支部 昭和55年(家)561号 審判 1980年5月06日
申立人 金田陽子
未成年者 石川誠治
主文
本件申立を却下する。
理由
一 申立の趣旨
未成年者の親権者を亡石川憲治(父)から申立人(母)に変更するとの審判を求める。
二 申立の実情
申立人は未成年者の母親である。申立人と亡石川憲治(以下父と略称する。)とは昭和五一年三月四日、未成年者の親権者を父と定めて調停離婚し、以来父において未成年者の監護に当つて来ていたところ、昭和五四年九月一四日、父が死亡した。申立人は未成年者を引取つて養育したいと考え本申立に及んだ。尚未成年者は現在のところ父の姉に当る石川清子の許で養育されて居る。
三 本件記録及び別件後見人選任申立事件(当庁昭和五四年(家)第二四五七号)記録添付の各資料並びに当庁家庭裁判所調査官○○○○の調査報告書によると上記申立の実情記載の各事実の外次の各事実が認められる。
(1) 申立人は昭和四五年四月(未成年者、生後七ヶ月時)父と別居し、以来一時期養育料月額七、〇〇〇円を負担していたことがある外陰ながらプレゼントを贈る等のことはあつたものの、未成年者との生活交渉は全くないまま現在に及んでいる。
申立人は現在大分市内の食堂のレヂ係として働き、病院の事務員の職を深している状態であり、衣食住に困ることはないものの資産はなく収入も安定したものとはいえない。
父の死亡により、父の姉石川清子から別件後見人選任の申立がなされ実母である申立人の意向の調査がなされるに及んで、申立人ははじめて父の死を知り、更に未成年者に対する愛情がかきたてられ、未成年者を引取り養育したいと考えるに至つたものである。
(2) 未成年者は生後七ヶ月目父母の別居以来、当時父と同居していた祖母、伯母らの手で養育されて、来ており、母は死亡したと教えられて来ている。(最近に至り伯母から母が生存している旨を教えられた。)
未成年者は現在小学校四年に在学中であるが成績は極めて優秀であり、又性格は明るく級友の信頼も厚くクラスのリーダーともいうべき存在となつている。
(3) 父の姉石川清子は昭和一九年来小学校の教員をしており結婚の経験はなく未成年者の乳児期以来母親同様に未成年者の監護養教に当つて来ており、かねてからいずれは未成年者を自分の養子に迎えたいと希望しているものである。
四 当裁判所の判断
申立人は未成年者の実母であり、未成年者に対し深い愛情を持つており、又人柄は誠実生活態度も堅実であると認められ、経済的に稍々不安定であるという点を除いては親権者として欠けるところは全く認められない。然し未成年者との間に一〇年間の空白期間があり果たしてこの空白を埋めることができるかどうか懸念を感ぜざるを得ないものがある。殊に未成年者は最近に至るまで実母は死亡したと思い込んで来ていることを考えると、果たして円滑に親子の情愛を取戻すことができるか疑問を感ぜざるを得ない。
一方未成年者は父の姉石川清子の許で養育され、同人との間は真実の母子同様の情愛で結ばれているものと認められる。申立人を親権者とした場合、石川清子との別離は避けられず、その場合未成年者の受ける精神的外傷は極めて大きいものがあると考えられる。加えて石川清子は未成年者を手離すまいと固く心に決めているようであり、未成年者の引渡しをめぐつて石川清子と申立人が相争うという事態が予測され、その場合未成年者の受ける打撃動揺は更に大きなものとなるものと考えられる。
以上の諸事情を綜合判断し、当分の間石川清子の養育を受けるのが最も未成年者の福祉に添うものと認め、主文のとおり審判する。
(家事審判官 助川武夫)